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東京高等裁判所 昭和56年(ネ)641号 判決

控訴人 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 星運吉

被控訴人 乙山花子

右訴訟代理人弁護士 小川景士

同 衛藤彰

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人の当審新請求を棄却する。

当審訴訟費用は全部控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  控訴人

原判決中、本訴請求に関する部分を取消す。

被控訴人は控訴人に対し、金二二七万円及びこれに対する昭和五一年一月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

との判決、又は当審新請求として前項と同旨の判決

二  被控訴人

主文同旨の判決

第二当事者双方の主張

当審において、控訴人は選択的に不当利得の返還請求を新たに追加し被控訴人はこれを争うので、これらについての当事者双方の主張を次に付加するほかは、当事者双方の主張は原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  控訴人の主張

(一)  選択的に新たに追加請求した不当利得返還請求の請求の原因

1 控訴人は、酒場モンテカルロにホステスとして勤務する被控訴人の顧客である。

2 控訴人は、昭和五〇年九月末頃、被控訴人に対し右モンテカルロでの飲食代金の支払のため、控訴人が株式会社三井銀行五反田支店に対し有する普通預金口座(口座番号四五五―八三四、以下本件預金口座という。)債権の払戻請求の手段である控訴人名義のキャッシュカード(以下本件CDと略称する。)を預託した。

3 しかるに被控訴人は、控訴人の承諾を得るなど、法律上の原因なくして、昭和五一年一月二四日と同月二六日の両日に亘り、本件CDを利用してほしいままに控訴人の本件預金口座から合計金二二七万円を引き出し、自己の用途に充てるなど、これを不当に利得し、よって控訴人は同額の損失を生じた。なお右は金銭であるから、被控訴人において同額の利得が現存することは明かである。

4 よって控訴人は前記金二二七万円及びこれに対する、被控訴人がこれを不当に利得した昭和五一年一月二七日から返還まで民法所定の年五分の割合による金員の支払を請求する。

(二)  抗弁に対する認否

すべて争う。

二  被控訴人の主張

(一)  選択的請求の請求原因に対する認否

1 請求原因1につき、控訴人が被控訴人の顧客として同女に初めて出合ったことは認めるが、控訴人の独特の接触ぶりは顧客の域を越えるものであった。

2 同2につき、被控訴人が控訴人主張の頃、本件CDの交付を控訴人から受けたことは認めるが、交付の目的は争う。右は飲食代金の支払のためばかりでなく、被控訴人に対し控訴人が夫婦と同じプライベートな男女関係の交際を求めるために交付したものである。すなわち、控訴人は被控訴人に対し銀行預金の自動引出し機能をもつキャッシュカードを交付することにより、二人の間で包み隠しのない一体的経済主体であることを示し、もって夫婦と変らない密接な関係にあることの誓いを担保するあかしとなし、他方被控訴人の関心を誘い夫婦同然の男女関係の実益を収めようとしたものである。したがって本件CDの交付はとりもなおさず、本件預金口座に振込まれる預金金額の全部につき、被控訴人が欲するままに引出し使用できる権限と利益を被控訴人に贈与するという、贈与契約の趣旨で交付されたものである。

3 同3につき、被控訴人が控訴人主張の両日に亘り本件CDを利用してその主張通りの現金を引き出したことは認めるが、その余は争う。被控訴人には本件CD交付の前記趣旨にてらし何らの不当利得は存しない。しかして仮に、贈与契約の趣旨でなかったとしても、被控訴人の右金員の取得は、その出捐者たる控訴人の意思に基づくものである。すなわち、右出捐の目的は被控訴人に情交を求めるためであったが、その情交を、被控訴人は全く夫婦としての交わりであると信じて控訴人を遇したのであるから、夫婦と同一の熱情的な情交を捧げたのであり、控訴人は全くその目的を遂げたのである。したがって不当利得となる余地は全くない。

(二)  抗弁

1 仮に前述の主張が認められないとしても、本件事案の全体を通じ、控訴人の所為には被控訴人の所為をはるかに越える過失があるので、過失相殺の主張をする。

2 なお右主張が認められないとしても、被控訴人は控訴人の損失に超越する人格的名誉並びに物的損害を蒙ったので、損益相殺の主張をする。

第三証拠関係《省略》

理由

一  先ず、控訴人が被控訴人に知り合ってその関係が解消するまでの両者間の交際関係の経緯について、検討する。

1  控訴人が銀座の酒場モンテカルロの顧客として同酒場のホステスとして勤める被控訴人と知り合い、その後両人は、控訴人方や被控訴人方、又は都内のホテル等でしばしば肉体関係を持ったこと、控訴人が昭和五〇年九月頃被控訴人に控訴人名義の本件CDを交付したこと、昭和五一年一月二四日と二六日の両日に亘り、被控訴人が本件CDを利用して本件預金口座から金二七七万円の現金を引き出したことは当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実と、《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ(る。)《証拠判断省略》

(一)  控訴人は昭和四九年一二月忘年会の帰りに会社の顧客の接待により初めて銀座の酒場モンテカルロを訪れ、右酒場で乙川と名乗っていたホステスの被控訴人が控訴人らの席についたことから知り合い、新しく話し合ううち、好感を抱き同女の自宅の電話番号を教わって帰宅した後、翌五〇年一月二日、被控訴人方に電話して同女を国電原宿駅前の喫茶店コンコルドに誘い、同店でお茶を飲みマックスの口紅その他の化粧品を贈って、さらに付き合ってほしいと求めたが、その日は断わられたので、翌一月三日再び被控訴人を原宿の表参道の喫茶店サボイに誘い出し、そこで食事を共にしたあと、控訴人はたまたま正月で同人の妻が帰省中であったことをよいことに、同女をタクシーで控訴人方に連れてゆき、同女を一泊させた。このとき控訴人はすでに妻帯者でありながら、妻のあることを同女にさとられないよう巧に行動し、そのため被控訴人は、控訴人が「彼女はあるが独身男性である」と信ずるに至った。

(二)  そしてその後、控訴人はモンテカルロを訪ねたり、又同酒場の外で被控訴人と落ち合って、度々都内のホテルや旅館、又は被控訴人方で肉体関係を重ねるようになった。そうするうち、昭和五〇年五、六月頃、被控訴人は控訴人の子を懐妊するに至った。しかし被控訴人は同年七月一九日、東京都渋谷区《地番省略》A医院において妊娠中絶術(二ヵ月始め)を行った。これに対し控訴人は自分の子でないと否認しながらも、一〇万円を被控訴人に交付して、これを慰藉した。

(三)  かくて控訴人の同女との情交関係はさらに進行していたところ、控訴人はその後もモンテカルロに飲みに行き、その代金を現金又はつけで支払っていたが、あるとき被控訴人から、飲食代金の支払の利便のためクレジットカードがあれば出してほしいと求められた。ところが控訴人は昭和五〇年九月ころ、被控訴人を同乗させて同人宅へ赴くタクシーの車中で、本件CDを被控訴人に手交したうえ、同夜被控訴人といつもの肉体交渉を重ねた。

(四)  そして被控訴人は、このあと、右キャッシュカードを使用して、和服の代金にあてるため本件預金口座から六万円を引き出した。控訴人はそのことを事後的に知らされたが、これに了承を与えた。そして控訴人は同年一〇月、一一月、一二月と月を重ねるにつれ、足繁くモンテカルロを訪ねることが多くなり、一二月に入ると、連日続けて飲みにいくこともあった。そして同月一四日、控訴人は被控訴人をホテルに誘い同宿した翌朝、八五万円の賞与袋を被控訴人に手渡し、本件預金口座に振込むよう頼んだので、同女は翌一六日これを本件預金口座に振込んだ。ついで控訴人は一二月一八日、手持ちの株券の売却代金二四六万六五一五円を同じく右預金口座に振込んだ。当時同口座の預金現在高は通常一〇万円台で推移していたところ、ここに至って一挙に二六四万一〇〇二円に達した。そして以上の銀行振込の件については控訴人は被控訴人にこのことを告げた。

(五)  控訴人は、同年末から年始にかけて妻が実家に帰省することを奇貨として、三泊四日の名古屋方面への年末年始旅行を計画し、被控訴人を誘って、三一日夜は名古屋都ホテル、翌元日の夜は湯の山温泉のとらやホテル、二日の夜は東京へ帰ってホテルオークラにそれぞれ同宿し、三日の夜は被控訴人方に宿泊し、肉体関係を続けたあと、翌四日の御用始には、同女方から初出勤した。そして控訴人はこれまでの間に、被控訴人と四九年一二月知り合って以来に、少くとも二〇回を下らぬ肉体交渉を続けてきた。

(六)  しかるに昭和五一年一月中旬ごろ、控訴人が不注意にも、被控訴人に依頼して現像焼付した写真フィルムの中に、控訴人の妻とおぼしき女性の写真が撮されていたことから、控訴人が独身男性であるとの虚偽が露顕した。そこで被控訴人は早速区役所の住民票を調査したうえ、控訴人方に同月二三日電話をして、電話口で控訴人の妻の存在を確認し、いたく激昂するとともに著しい精神的打撃を受けるに至った。そこで被控訴人は翌二四日及び二六日の両日に亘り、本件預金口座の残高の殆んど全部にあたる二七七万を現金で引出し、うち二一万〇四八〇円を控訴人のモンテカルロの飲食代金に充てたあと、残金二〇五万九五二〇円をすべて被控訴人の手中に収めた。そして、本件CDを控訴人に返すとともに、同人との一切の関係を打ち切る旨宣言した。

二  キャッシュカードの所持人は、当該預金を自由に引出すことができるのであるから、これを他人に交付することは現金を交付することと殆んど変らない意味を持つと考えられ、又婚姻外で性的関係を継続している男女の間で男が女に現金を交付したときは、特段の事情がない限り贈与する趣旨であると解すべきであるから、同様の男女の間で男が女に対してキャッシュカードを預けっぱなしにした場合においては、当該男女間に反対の趣旨の明確な合意があれば格別、そうでない限りは預け主たる男は、女において当該預金を自由に引出して消費することを許容しているものと解すべきところ、本件において控訴人、被控訴人間に本件キャッシュカードについて、右のような明確な合意のあったことを認めることができないから、控訴人から本件CDを預けられていた被控訴人は自由に控訴人の預金を引出し、これを取得する権利を有していたものと解すべきである。控訴人は被控訴人に本件CDを預けたのはもっぱら控訴人が被控訴人の勤務するクラブでの飲食代金支払の便宜のためであったと主張し、《証拠省略》によれば、当初控訴人が本件CDを被控訴人に交付した契機はそのようなものであったことは窺われるが、それ以外の目的に本件CDを使用しない旨の明確な合意があったとまでの事実を認めるに足りる的確な証拠は見当らない。なお、右のような男女関係において女がキャッシュカードを用いて預金を自由に引出し消費しうるのは、男女関係が円満に継続している場合に限られ、男女関係が破綻した場合には、女の右の権利は当然に消滅するのではないかとの疑問がないでもないが、そのような婚姻外の男女関係が破綻した場合、経済的な強者である男が、弱者である女に損害賠償ないし慰藉料の趣旨でいわゆる手切金を支払うことは世間に極めてしばしば見られる現象であるから、キャッシュカードを預けられた女がこれを手切金の担保と理解するであろうことは、社会通念上当然であって、従って継続的な男女関係が破綻した場合においても、右と異なる趣旨の合意の存在が認められない限り、女は自分が相当と信ずる手切金の範囲においてキャッシュカードを利用し男の預金を引出し取得する権利を有すると解すべきである。そうして被控訴人が本件CDを用いて本件預金引出の行為に及んだのはまさに控訴人との従来の関係を清算するため被控訴人が正当と信ずる範囲での手切金を受領する趣旨であったことは《証拠省略》によって明らかであり、かつ前認定の経緯に照らせば、被控訴人の取得した二〇五万九五二〇円が本件手切金の額として必ずしも不当であると断ずることはできないから、結局被控訴人の右行為は控訴人の事前の承諾に基づく正当な権利行使であってこれを不法行為とする余地はなく、控訴人の損害賠償の請求は理由がなく、又以上の説示で明らかなように被控訴人の利得には法律上の原因が存在するのであって、不当利得返還の請求もまた失当といわざるを得ない。

三  それ故控訴人の右損害賠償請求を棄却した原判決は正当であって、本件控訴は棄却のほかなく、当審新請求たる不当利得返還請求はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川義夫 裁判官 廣木重喜 裁判官原島克己は填補のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 石川義夫)

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